『本をテーブルに置いて』読書会。
テーマは「幻想文学とはどういうもの(だった)か」でした。
どんな小テーマを置いたか、そしてどんな本を取り上げたか、ノートします。
触れた程度のものは小さいフォントで表示します。
・シャーリー・ジャクスン「くじ」
・ユング「心理学と文学」『創造する無意識』
心理学的解釈 | 幻視的解釈 |
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個人的(な経験) | 集合的(な経験) |
合理的で説明がつく | 非論理的・不条理・拒絶や嫌悪を催すことも |
間宮の意見:
・幻視的な世界観の小説では「性格」や「心情の吐露」よりも「行動」を描く。
・一人の人間を多面的に描かない。
→ 人間たちの置かれた状況と、そこでの彼らの行動・心理を局部的に際立たせるため。2つの異なる行動パターンを描く場合は、2人の人物を登場させる。
→ 「くじ」をもう一度考えてみよう
・『酉陽雑俎(ゆうようざっそ)』中国唐代9世紀中葉
・『ペンタメローネ』17世紀イタリア ナポリ方言
糸紡ぎの女たち、洗濯女たちから採話。翻訳・アレンジを経て書籍化する
民衆文学(民話) | 疑似民衆文学 | |
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表現形態 | 口承 | 文字 |
表現者 | 不特定多数の民衆 | 個々の文学者 |
言語 | 地方の少数派言語 | 話者数の多い大きな言語 |
・ポー「黒猫」
・アポリネール「オノレ・シュブラックの失踪」
・シャミッソー『影をなくした男』
・チェスタトン『木曜の男』
・ウォルポール『オトラント城奇譚』から恐怖小説が流行する
・ラヴクラフト「インスマウスの影」(疑似的な民衆文学への回帰)
・チェーホフ「黒衣の僧」
市民革命を経て文学作品にも合理性が求められるようになる。1859年ダーウィン『種の起源』以降、市民社会や科学に立脚した人間観が台頭する。
・H.G.ウェルズ『タイムマシン』『モロー博士の島』
・ジュール・ヴェルヌ『海底二万哩』
・カレル・チャペック『ロボット』『クラカチット』
・カフカ『変身』
・トドロフの批評『幻想文学』と、それに対するスタニスワフ・レムの批評
(小説のオイディプス効果について)
・カルヴィーノ「アルゼンチン蟻」と、同作家の以降の作品との違い
『現代イタリア幻想短篇集』からカルヴィーノの言説
イタリアではこの幻想及び幻想的という言葉は(おそらく本来はフランスでもそうだったと思うのだが)読者を小説の感情的流れに投げこむことを意味しない。逆に、距離を保つこと、日常的経験(あるいは支配的な文学的取り決め)とは異った別の物、別の関係に導く新たな論理を受け入れることを意味する。
(...)二十世紀では幻想性を(感情に訴えかけずに)知的に用いることが主流になっている。つまり知的遊戯やイロニーとして、また現代人が隠し持つ欲望や悪夢への省察として用いられている。
世界幻想文学大系41 現代イタリア幻想短篇集(国書刊行会)より
何かを暗示しているような状況・人物・ストーリー。しかし正解の解釈は存在しない。
→ 作品を解釈しようという試みがそのまま自分自身を探る試みになる。
生身の人間では語ることができない話(人の寿命よりも長い年月にわたる物語)
共同体を描く
・フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』
・ガルシア・マルケス『族長の秋』
・ボルヘス「不死の人」
社会批判を幻想文学の形にする
・ブルガーコフ、ザミャーチンなど
戦争体験と、幻想文学というフォーマット
・ブルーノ・シュルツ「肉桂色の店」
・プリーモ・レーヴィ「天使の蝶」
なぜジャーナリスティックな形ではなく、幻想文学の形態を採ったのか?
→ 幻想文学作品で描かれるものは「今ここ」の一過性の事件ではなく、普遍性を得る。
「これまで」の過去を描きながら、「これから」の未来に向けて発信されている。
現代に引き継がれる幻想文学の系譜
ペレーヴィン『宇宙飛行士オモン・ラー』
ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』
幻視的世界の極北 または言葉遊び … 今回の宿題
レーモン・ルーセル『ロクス・ソルス』『アフリカの印象』
ゴンブロヴィッチ『フェルディドゥルケ』『コスモス』
ランドルフィ「ゴキブリの海」「剣」